2015.08/20(Thu)

Yleニュース ☆ 「ギター王Alexi Laiho」 記事(2015年8月8日)日本語訳 

Alexi Local Band 15_08_2015 Tavastia

先週末ヘルシンキ祝賀ウィークイベント「100 Guitars from HEL」でヘルシンキ大聖堂前広場で100人のギタリストと自分が作った曲を演奏したChildren Of BodomAlexi Laiho ですが、そのイベントの前にフィンランドの国営放送Yleのニュースに「ギター王Alexi Laiho」として興味深い記事が載っていたので翻訳してみました。

Children Of Bodomと彼が参加しているThe Local Bandはこの秋さいたまスーパーアリーナで開催されるLoud Parkに出演が決まっています。The Local Bandと今回の来日についてはこちらを。

以下2015年8月8日付けYleニュースの日本語訳です。

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ギター王 Alexi Laiho (Yle ニュース 2015年8月8日)

シャイなティーンの男の子が学校横の通路に座っている。時1992年、場所はオウルンキュラ(ヘルシンキ)のポップ&ジャズ音楽院。エスポーに住む男の子は一人で2年ぐらい演奏していたが、バンドで演奏したい気持ちは高まるばかり。その情熱は知らない人の隣で演奏するという恐れをも上回った。

この13歳の少年は将来世界的ベストメタルギタリストの1人に成長することになるAlexi Laihoだった。そして彼は今回世界中の数十万人の観客の前で演奏する。
20年以上が経ちヘルシンキのバーに自信に満ち、満足げな男性が座っている。不安は去り、その男性Alexi Laihoは現在のような多忙なキャリアについてジェスチャー入りで語る。
ヘルシンキの祝賀ウィークイベント#100guitarsfromhel用の曲提供に忙しくしていた。ヘルシンキ大聖堂前広場でのショーのためLaihoは世界中から100人のギタリストを選んだ。
忙しかったのには他にもChildren Of Bodomの9作目のアルバム製作に加え、The Local BandのEPレコーディングの準備もあった。この後の方のバンドにはLaihoの他にJussi69、Olli Herman、Archie Kuosmanenというメンツがそろっている。Jussi69はThe 69 Eyesのドラマーとしておなじみ、HermanはReckless Loveのヴォーカル、ArchieはSanta Cruzのヴォーカル-ギタリストだ。
はげかけた黒いマニキュアを見ればギタリストの猛練習ぶりがうかがえる。Laihoはここのところ睡眠不足なのを認めたが、それはかまわないと。彼はギターと一緒に夢を生きているとロックギター仲間は言う。それはLaihoの生涯愛だ。


最初の接触

3,4歳の子供の頃からAlexi Laihoにとってギターはなくてはならないものだった。エスポーの自宅は音楽にあふれていた。なぜなら両親はプロのミュージッシャンでお姉さんも音楽を趣味としていた。
ギターを初めて聴いたのは父親がDire Straitsを弾いた時だった。この後父親はギターに関する息子の質問攻めにあうことになった。
とはいえLaihoが本物のギターにさわることができたのはその何年も後だ。父親が彼を楽器店に連れて行ったのは彼が11歳の時だった。
- 父親は「じゃ槍(ギター)を買おうか。そのだだをこねるのが収まるように。」と言ったんだ。そこでギターを初めていじってみることができた。それはとても魔法的な感情になったとLaihoは思い出す。
ギターがLaihoの人生の中心になった。お姉さんの持ってたカセットテープから聴こえてくるMötley Crüe、Guns’n’RosesやPoisonなどといったバンドをお手本に何時間でも練習を続けた。小さい頃に弾いていたバイオリンやピアノは遠ざかった。学校に行くのさえ第一ではなく感じてきた。
- 1日に10時間ギターを弾いて、友達と一緒にスケートボードに行った。そして家に帰ってきたらこっそり朝の4時までギターを弾いた。8時に学校に行かなきゃならかったんだけど、どうなったかはわかるだろうとLaihoは笑う。
技術が蓄積されてくるとバンドに加入したいと思うようになった。最初に見つけたのがオウルンキュラ(ヘルシンキ)のポップ&ジャズ音楽院だった。グループには同じ気の合う若いミュージッシャンの卵たちがいて一緒に演奏するのはうまくいった。
- Alexiメタルのギターヒーロー指向だというのがすぐにわかった。
とバンドで同じくギターを弾いていた、現在はポップ&ジャズ音楽院でギターを教えているKristian Wahlströmは語った。

Laihoはギターを弾くことのすべてを勉強して誰よりもうまく弾いてやると自分自身に誓った。3年練習した結果、自分より何年も前から練習してた人達よりうまく弾けることに気がついた。

自分は他の人達を追い抜いたし、そのつもりでいた。他の誰かが自分より早くか、またはうまく弾くなんて思うことに耐えられなかった。

Laihoの音楽の好みはだんだんとハードなものに傾き、お手本のバンドに例えばAnthrax、Slayer や Metallicaが飛び出してきた。音楽学校では90年代初頭にはまだメタルミュージックは評価されてなかった。なのでLaihoは自分の道を進むことを続けた。

Laihoは学校の友達Jaska Raatikainenと2年前に結成した別のバンドIneartheDに力をいれたが、バンドは長く続かなかった。1993年そのバンドの瓦礫から今もなお2人がメンバーにいるChildren Of Bodomを結成した。Alexi Laihoはその時14歳だった。


ギターは男のエクステンション

2000年に発売になったChildren Of Bodomのサードアルバム『Follow The Reaper』はAlexi Laihoのキャリアの節目になった。ギタリストとしてパフォーマーとして納得のいくレベルに達成したと感じた。自分のスタイルというものが見つかった。そしてバンドは他のバンドのオープニングアクトではなくなった。

Laihoは自分のギターとの完璧なつながりを見つけ出した。彼はその同じ思いを何度も感じとった。

- ステージに立ってるときは何が起こってるのかなんてことは知らない。なんというか別の惑星にいるみたいなんだ。

Cildren Of Bodomのギターテクを3年半しているAntti HärmäはLaihoがどんなにギターと特別な関係を持っているのかを間近でみている。

- ツアー中Allu(Aleksi)はツアーバスの中で映画を観ながらギターを弾いている。それは彼にとってとっても自然なことだ。ギターは彼のエクステンションなんだ。

たった2日間ギターを弾かなかったらもうそれは苦痛になる。

- そうなるともう思うように弾けなくなり、想像できないほどの自己嫌悪に襲われる。なんてヘタな奴なんだって。とLaihoは遠くを見つめる。


パンクが他との違いを浮き出す

一度ギタリストレジェンダZakk Wyldeが偶然にAlexi Laihoと同じバーにいたことがあった。LaihoはOzzy Osbourneのバンドにもいたこのギタリストの長いことファンであった。友達はアイドルに挨拶に行け行けとまくりあげた。Laihoは最初は戸惑ったものの勇気を出して挨拶に行った。

-ハイ!とファンの男の1人として挨拶しにいったんだ。そしたら彼は俺のことを知っていて、お前は次のRandy Rhoadsだ。いい仕事を続けなさいと言われたんだ。

それはとても現実とは思えなかった。

- このことで自分の中に眠っていたものが起き上がった、そんな瞬間だった。

Laihoはいまだに褒められることに戸惑ってしまう。彼はこれまでに何度も世界的にベストメタルギタリストに選ばれている。(Guitar World誌、Total Guitar誌、フィンランドのSoundi誌). そしてMetallicaのKirk Hammettは彼をワールドベストギタリストと呼んでいる。

Laihoはそれらの評価をうれしく思うものの、それに満足して立ち止まろうとは思わない。
- 自分には自分流のスタイルというものができてきた。それは特に風変わりなものではないが、このジャンルのギタリストの中では違いが浮きでてきた。それは技術的なものや早弾きといったものだけでなく他に何かがある。
機敏な指だけではヘビーギタリストのマスターレベルにはのし上がれない。Laihoの音楽仲間達は彼のパンクスタンスを持ち上げる。それが従来の演奏にコントラストをだしていると。パフォーマンスはただ上手なだけではなく、音楽に対する情熱の炎が燃え上がっている。これが彼を他のメタルギタリストから浮き出たせている。


ドナルドダックとプレステ

1998年初め、Tavastiaの観客の中にキャリアをスタートさせたばかりのミュージッシャンTuomas Holopaninenがいた。そしてChildren Of BodomのAlexi Laihoのギターを追っていた。HolopainenのバンドNightwishとChildren Of Bodomは両バンドとも前の年にデビューアルバムを発売したばかりで一般にはまだほとんど知られてなかった。

NightwishとChildren Of Bodomはその夜同じステージに立った。ライブ後2人は初めてバーカウンターで会った。2人ともお互いのファンだという空気が流れていた。

- 彼は都会で育ったロッケンローラー、俺は都会のことを全くしらない田舎ものだったとHolopainenは思い出す。

HolopainenとLaihoが友達になったのは2人がアメリカのオーランドで出会った2001年になってからだ。2人は遊園地で楽しい時間を過ごした。

ツアーやレコーディングといった忙しさから2人は2年ぐらい顔を合わさない期間もあったりするが、再び会ったときには以前と同じ友情が続く。Holopainenの話によると2人を結びつけるのは音楽、曲作り、ドナルドダック、90年代ディスコにPopeda(フィンランドのベテランバンド)に対する愛だと。

-Allu(Alexi)がキテェーの俺のとこに来ると、俺達はドナルドダックを読んで、音楽を聴いて、酔っ払い、焚き火のほとりに腰をかけバーベキューをするんだ。

Alexi Laihoは他にも所有のアメリカン車を運転する時ギターに距離を置くことがある。さらにプレステや他のビデオゲームを楽しむこともある。とはいえギターヒーローゲームでは以外にもヒーローではない。

- ゲームでボタンの使い方がよくわからない。俺に本物のギターを与えてくれ。そしたらヒーローになってやるといったとLaihoは笑う。


ダークサイド

成功の後にはたいてい2日酔いがやってくる。Alexi Laihoの2日酔いはかなりのものであり長引いた。彼は飲みすぎてそれはパフォーマンスにも影響が出始めた。ライブの前には飲まないと誓ったものの、ライブ後にはそれ以上に飲んでしまった。

酔っ払っている時は勢いがつきすぎてあちこちひびが入ることもあった。ひとつのツアーでは彼はいくつものライブを2本の助骨と肩にひびがいった状態で行ったこともある。

Children Of Bodomの初期の頃、90年代の終わり頃Alexiの状態はとても悪化し自ら命を絶とうとしたこともある。

- ある時期、俺はこのツアーで死ぬだろうと思うことがあった。死にたくはないが、俺はいろいろ経験したからそうなったらそれでもいいと思っていた。2回ほど病院のお世話になった。

すごいパーティ好きで知られるLaihoだが、後になって事実を認めざるをえなくなった。彼はもう20代ではないと。30代になってくると翌日の2日酔いは夕方までも続くことがあった。

- ライブ開始5分前にどこかの小便臭いトイレで血を吐いたとき、これがまだひどく楽しいか?

そういう状態だったので周りの人達は彼がミュージッシャンのキャリアを続けることができるかどうか疑いを持つようになった。Laihoはそれらに懲り酒に舵を取られないように決めた。何よりも彼は自分はやっていけることを周りの皆に見せ付けたかった。

- 時々バーには行くが仕事では飲まない。俺はやってやる。ピリオド。

最初は酒なしのツアーは難しかったが、少しずつエネルギーレベルが向上して以前と同じようにパフォーマンスを楽しめるようになった。


ワイルドチャイルド制御

ヘルシンキのバーでコーラをちょびちょび飲んでいるAlexi Laihoはバランスの取れた36歳に見える。昔を思い出させるのはキャップ帽に書かれた最初のアルバムのために考えたアーティスト名の文字Wildchildだ。30代になるとその名前は子供っぽく感じ、少なくともアルバムのカヴァーテキストからは消えた。

音楽を作り出すことで以前は正しく導くことができなかった嫌悪感を吐き出していた。今彼は自分のダークサイドを知り尽くしている。それは彼の内側にいつも存在するだろう。だが彼はそれをどう処理したらよいかがわかった。

- 俺はすべてのネガティヴなことを音楽に注ぎ込み、それをポジティブにひっくり返すことを学んだ。それは自分にとっていいだけでなく、バンドや音楽にとってもよいことだ。

そしてもちろんギターにも。

- それは自分の一部だ。俺には2本の腕とギターがある。

(この記事の原文はこちらを。)

ということで、この記事を読むと苦難も乗り越え彼は生まれながらのギターヒーローであったようですね。そしてきっとこれからもそうあり続けるでしょう。

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テーマ : 洋楽ロック - ジャンル : 音楽

タグ : フィンランド Finland メタル Children Of Bodom Alexi Laiho チルドレン・オブ・ボドム アレキシ・ライホ

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